Twitterを見てたら、3Dプリンター関係で面白そうなニュースが流れてきました。
地蔵菩薩を3Dプリンターで | NHKニュース https://t.co/pYsX4CRlSZ
— 家入 一真 Kazuma Ieiri (@hbkr) June 20, 2017
簡単にまとめると「重要文化財に認定された菩薩が移行されたから、代わりに神社に3Dプリンターでつくった地蔵菩薩を置こうぜ!」というような内容の記事です(間違えてたらすみません)
今まで、何度か似たような記事をみたのですが、 そのたびに「仏像の価値ってなんなんだろうなー」と興味深く思います。
過去記事 → 3Dプリンターみがわり?仏像の盗難防止として複製する取り組みが和歌山県で行われる。 | 週刊ヤング3D
とりあえず、今回の記事の要点をピックアップしていきます!どうぞ!
①背景
長年まつられていたお堂にはいま肝心の菩薩像がありません。台座の上に置かれているのは、大きな写真パネルだけです。
なぜ、写真だけになったのか、そのきっかけは京都市の調査です。調査の結果、1000年以上も前の平安時代に作られた貴重なものだとわかったのです。座っている地蔵菩薩像としては、国内で2番目に古い像だとされています。そこで、京都市は平成14年、地蔵菩薩像を市の有形文化財に指定。火災や盗難から守るため、菩薩像は国宝や重要文化財を数多く収蔵する京都国立博物館に移されました。
このためお堂には、地蔵の代わりに写真パネルが鎮座することになったのです。
②3Dプリンターで作成
長年親しんできた菩薩像が、写真だけではどうにも寂しい。そこで、地域の人たちの思いに応える形で、本物そっくりのレプリカ作りが去年始まりました。京都国立博物館がもっている3Dプリンターを活用して作成したのです。 樹脂でできた原型は、実物と同じく、高さがおよそ50センチで、形もうり2つに仕上がりました。しかし、木造の実物と比べてつなぎ目が目立ち、表面の風合いも大きく異なりました。そこで、重要になったのが色づけする作業です。文化財の修復技術などを研究する京都市産業技術研究所が担いました。
③実際にお堂に置かれる
レプリカは、8月の地蔵盆に合わせて、地域の人たちが待つお堂に運ばれます。そして、これからずっと、実物の代わりに安置されることになっています。保存会の会長を務める矢島隆さんは、「地域の宝として、これから大切にしていきたいです。関係者の皆さんに本当にお礼が言いたいです」と話していました。
だそうです。
個人的に、地蔵菩薩は手作りだから価値がある!と思っていたのですが、このような事例を見るとすこし考え方が変わりました。3Dプリンターでも十分に仏像の役割を果たせられるんですね。レプリカだろうが関係ない!
せっかくなので仏像の価値について調べてみました。
中国製の仏像を、『心のこもっていない、粗悪品』と、悪く言う日本人仏師もいるが、その仏師の言う「心のこもった仏像は、高額であり、裕福な寺院と一部の富裕層のお客様だけに許された高級品なのである。日本製の仏像は、一般のサラリーマン世帯が購入できる価格では無く、「心のこもった仏像」と言ってしまうことは、「貧乏人は中国製の心のこもっていない粗悪な仏像でも拝んでいなさい」と言わんばかりに聞こえてしまう。 この表現は、あまりにも曖昧で、消費者側から見る判断基準としては不適切であろう。心がこもっていれば初心者の作る仏像であっても良い仏像ということになりかねない。
像が芸術作品であるならば、価格は自由であっていいのだが、仏像の価格と品質については、不透明で曖昧な部分が多い。現在の日本人仏師の仏像価格はアート作品の価格の領域にある。しかし、アート作品の価値が決まるプロセスに製作日数は考慮されない。作品の完成度や芸術性の他、どこの賞を取ったか、誰が作品を所有しているかなど、様々な条件によって価格が決まる。
(仏像の適正価格 | 仏像ワールドより引用)
すでに中国では、仏像の機械化・効率化が進んでいるそうです。
まだまだ仏像の価格決めは不透明らしく【歴史的価値+製造コスト+ほにゃらら】によって付けられているみたいです。仏像も奥が深いですね。
さて、なんでこんなことをブログに書いているかというと、
今後、3Dプリンターでレプリカ製作が簡単にできるようになった時に、モノ自体の価値の判断基準が変わりそうだなーと感じています。
何かの本で「ある船を修理してツギハギして、元のパーツが全て交換された時に、その船をなんと呼ぶのか?」という話がありましたが、それに近い感覚ですね。
仏像も同じく、市場の競争原理が働かずスピリチュアルな分野なので、「なにが仏像の価値なのか?」という問いが多くあります。
そういえば、チームラボの猪子さんも近いこと(?)を言ってたような気がします。
「インターネットの出現によって人間の価値観が有限概念から無限概念に近づいて行く」と猪子氏は語っています。
かつて一世を風靡した「限定モデル」などのありがたみというのは昔に比べると薄れている、と感じている人は多いのではないでしょうか?
それは無限にデータを複製できるデジタルデータが生活の隅々まで行き渡ってきた現在、有限なものが価値があるという考えから、「無限」が当たり前だという世界に近づいているからだそうです。
そして今後は特にネットの中では「無限概念」が当たり前になってくる。
その中で活躍できるのは日本人なのではないかという意味の発言を猪子氏はしています。有限概念で成り立つ西洋が作った現在の世界
そもそも資本主義モデルや高度な金融モデルは有限概念によって作られました。それは、西洋的思想だそうです。
産業モデルを作ったのは西洋なのでそうなのかもしれません。
そして今の世の中は、基本的には有限概念の下で動いています。需要と供給によって価格が決まるというのがその典型です。
しかしインターネットの出現で「有限」に違和感を感じる人が増えてきているというのが猪子氏の意見です。
その中で、有限概念と対立する無限概念という考え方を昔の日本人はずっと持っていたという議論が動画ではされています。
(日本人の西洋人と異なる価値観「無限概念」に関する猪子寿之氏の発言をまとめてみた | 唐澤頼充(新潟のライター・編集者)より引用)
価格を決めるのは、ブランドなのか?生産コストなのか?付加価値なのか? 受注生産やレプリカがしやすくなる時代だからこそ肌感覚として理解しておきたいですね。
そんなこんなで、個人的にモノをつくっていく上で「モノの価値」というのは大事にしたいテーマだと思っています。
あと、どうでもいいのですが、この元記事のサムネイル画像がカオスでした。
ではでは!
<運営元情報>
株式会社メルタは、3D事業に特化した会社です。
3Dデータ作成のモデリーや、3Dプリントの3Dayプリンターなどのサービスを運営しています。ライターの仕事も受け付けます。